かみぽわーる

kamipo's blog

推しのアイドルのラストを見届けた

去る3月24日、BLACKNAZARENEのラストライブを見届けた。

これはオタクとしての感想エントリーというよりは、これまでの人生を振り返った自分語りを、ひとつの物語を見届けたこのタイミングで残しておきたかったという内容になると思う。

ナザレには推しがふたりいて、どっちかだけに言及するのはSNSではしないようにしてたんだけど、ここではアイドル東出ひみこの物語を語らせてほしい。

2021年5月4日に新メンバー4人を加えて新体制6人のBLACKNAZARENEが始まったとき、ひみこ以外はアイドル経験者でひみこだけがアイドル未経験からのスタートだった。大阪の販売業で働いていて4月から店長になる予定だったけど、実果子からの「BLACKNAZARENEで一緒にアイドルやりませんか」のインスタのDMで、歌もダンスも苦手で自分がアイドルになるなんて1ミリも思っていなかったひみこの人生が一変して、アイドル東出ひみこの物語が始まったのです。

会社の飲み会で自分は物語、関係性のオタクやって話をしてたんやけど、BLACKNAZARENEは実果子がはじめた物語でもあるけど、僕にとって新体制のBLACKNAZARENEは、ヒロアカで例えると歌もダンスも苦手で自分がアイドルになるなんて1ミリも思っていなかったひみこが、オールマイト実果子に出会って最高のアイドルになるまでの物語でもあったんよね。

あらゆる物語には終わりのときがくると思っていて、終わりがあることに美しさを感じてる。BLACKNAZARENEという物語は、いろんな困難を乗り越えて、新体制の始まりからひとりのメンバーも欠けることなくこの景色までたどり着いて(アイドル業界でこれはマジで偉業)、最高の結末を見届けさせてくれた。この日このときこの景色を見られる人生でよかった。

自分はこんなに美しい人生の結末を迎えられるやろうか。

ここで自分語りをするんやけど、人間って社会的動物じゃないですか。その意味において、僕は昔からずっと人間をやるのが苦手やと思ってここまで生きてきて。この生き苦しさをどう言語化するか考えてたんやけど、おそらく「ひとに言われたことを言われた通りにやるのが苦手」ということなんかと思う。自分が納得できないことを納得できないままやるのは本当に苦手で、自分みたいな人間のなりそこないみたいなのに社会に居ていい場所があると思ってこれなくて、社会で生きるより「自分が自分である」ことをなにより優先して生きてきた。「自分が自分である」ことを諦めてしまったら生きる理由もなくなってしまうと思ってた。

「自分が自分である」ことを諦めなかったから成し遂げられたこともある。Oracle ACEに推薦してもらったりRuby Prizeを受賞したりRails Core Teamメンバーに昇格したり。自分が納得できることやからこそ尋常ならざるパワーで取り組み続けられた結果やと思う。

逆にうまくいかなかったこともある。この10年で3回の退職をしてきたけど、そのどれも「自分はここに居ていい人間じゃない」と思うようになって、ここで自分が誰かのためにできる最後のことがあるとしたら、それは自分で自分を終わらせることやと思っての退職やった。自分がひとの期待に応えられない人間であるということが自己肯定感を地の底まで落としてた。

去年の3月に退職を決めて身辺整理をはじめたときにこれまでの人生を振り返って、ここまでよく生きてこられたなと、正直ちょっと生きるのに疲れたなと思った。自分の人生がこじれ過ぎてて、いっそのこと自分のことを誰も知らないところから人生を始められたら、今度はひとの期待に応えられる人間になれるやろうかと思った。

そう考えるようになったとき、生きる理由やと思ってた「自分が自分である」ことへの執着が薄れてることに気がついた。これが歳を取るということなのか。けど逆に今の自分だったら、いままでできなかった「ひとの期待に応えられる人間」をやりようがあるんじゃないか。自分のなかでポジティブな気持ちで今までの自分を終わらせて、新しい自分をはじめられるんじゃないかという気持ちになれた。

いまは新しい環境で、いままで苦手でやってこなかったことを、いまの自分ならどうや、やってやろうやないかの気持ちで向き合ってる。マジで自分がクソ雑魚すぎてウケるなと思う日もある。けど今度は僕が自分の人生で、バッドエンドじゃない最高の結末をここでみんなと分かち合える人間になりたいと思って生きている。